2010年5月23日日曜日

父の存在

私は割と人に気を使っているそうだ。普段そこに意識は無く、そこを指摘され認識した。

何故、人に気を使うのか考えると、人に良く思われたい思いがあり、それを裏返すと人に嫌われたくない思いになる。

だが、人に嫌われたくないという初動はどこから始まったか分からずじまいだった。

最近、実家に帰省したのですが、私が家を大掃除しようと色々と父に聞きながら掃除を進めたら父の機嫌が悪くなっていた。父が認知していない所を多く聞いたせいもあったが、私はそれを感知して、機嫌を良くしようと行動していた。

この時、何故自分が人に気を使うのか(人に嫌われたくない)のルーツがここからだと思った。

私は父を色々な面で尊敬している。尊敬しているからこそ、あまり近寄りたくない反発心がある。微妙な感情ですが、、、微妙というのはこれ以上掘り下げたくない思いである。

私は父にみたくなれないが、私の自己形成で良い悪いも影響下になっている。父という存在は私が作った見えない心の衣装であり、いつかはそれを脱ぐ試練だと思う。

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